2012年1月14日土曜日

追憶シリーズ(6) 開けっぴろげであること


多少なりともKSプロジェクトを追って来てくれた人なら、4LSの他のメンバーの誰よりも、私になじみがあることだろう。このブログは私の思った事がつらつら書き連なっていただけの事も多かったし、一部KSメンバーたちの全掲示板投稿総数よりも私の公式掲示板への投稿数の方が多いくらいだ。もちろん自分が4LSの代弁者だと言っているわけではない(もしそんなのがいるなら、Surikoの方が当てはまるな)。ほとんどは私の個人的な意見、考えというだけだ。私が他のメンバーたちよりこういう発信ごとが好きだったので、結局投稿も多くなってしまった。過去に書いたことを振り返ると、いくつか頭に浮かんでくるものがある。

ブログでの初期の投稿は確かにKS開発の進捗状況を適切に伝えていたけど、これはすぐに、どんな風にかたわ少女が制作されているかを伝える実録記事へと変わっていった。多くのエントリーは一般論を述べていたり、あるものはKSに全然関係がなかったり、またあるものはただの閑話休題だったりした。だけど、これらの記事はみんな、私たちの考え方を何らかの形で率直に表すものだった。その多くには賛否両論、さもなければ激しい異論が返ってきた。機械的に開発詳細を報告するのでなく、とても醜い部分ですら隠さず率直にオープンにしてきたわけだが、当時の私たちはそれをよしとしていたし、そのほうがおもしろいと思っていた。こういうスタンスを気に入らない人たちも非常に多い(一体開発の方はどうなっているんだ、とたくさんの人を怒らせたのも確かだし)ことはわかっていたけど、こうしたスタンスは私たちが楽しんだ贅沢でもあった(後述)。どちらにしろ、このブログを読んだ人たちがそれなりに楽しんでくれていたらいいなと思う。私はもちろんここで書くのは楽しかったよ。

そもそも、どうしてブログなんかやっているんだろう? たぶん私が、いや他のスタッフも、ただやりたいと思ったからだろうね。4LSの「職場」はいつも奴隷労働の日々という訳ではない。雑談をしたり、バカ話に花を咲かせたり、一緒に映画を観たり、開発以外の事もやったりした(ブログや「ファン」アート、シークレットサンタみたいなイベントもあった)。無駄な時間に思えるだろうが、それで私たちの絆が強くなり、プロジェクトにより身が入ったので、楽しい事をするのも重要だったんだ。

プロジェクトへの取り組みの事をもうちょっと言うと、これには私たちの他にもたくさんの人たちが関わってくれた。KSについて特筆すべきなのは、特にAct1のみの体験版リリース以来、実にたくさんのアクティブなファンを得ていたと言うことだ。完全版リリースの時点で、画像掲示板Mishimmieには2000以上のファンアート投稿があり、公式掲示板には開発掲示板の8倍の投稿があり、公式あるいは外部の掲示板には多数の二次創作が掲示されていた。まだ実際には存在していなかったゲームのファン活動としては膨大な量といえる。KSはこうしたファンたちの支え無くして成り立ちえなかったのは間違いない。それに4LSスタッフ間だけでなく、IRC常連、掲示板の人たち、翻訳スタッフ、その他すべての人たちとも素晴らしい時間を共有できた。そうして私たちは皆から力を得たんだ。ただ、KSファンの一部とちょっとした問題が絶えずあったりもして、彼らへの対処法は私たちもよく分からない(取って食えとでもいうのか?)。商業作品のチームには、できるだけ多くのファンを獲得して、満足させるための明確な動機づけがある。金だ。だけど私たちはそういうものを一切持っていないので、ネット上の評判や賞賛を受けて少し妙な気分になってしまう。たぶん私たちはブログや掲示板で自分たちをオープンに見せたり、誰もがIRCで話せるようにする事でファンとつながろうとしていたんだと思うが、ファンの目から見てもそれがうまくいっていたのかは分からない。他方、私たちが全ての人を喜ばせる動機を持たなかったという事は、逆に言えば私たち自身が望む通りできるという利点でもあった。理不尽な人たちには私たちは率直で、あるいは無遠慮でさえあったが、それで後ろめたさを感じた事はないし、ゲームへの熱狂やファンに水を差すような受けの悪い決断をためらうこともなかった。そんなこんなで、スタッフの間では、私たちにファンがつくかどうかに気をもむのでなく、今実際にいるファンのためにベストを尽くそうという考えに落ち着いていた感じだ。

ファンの存在というのは、時には不快に感じた事もあるにはあるが、もちろんものすごく嬉しいものだ。彼らには驚かされることもある。中でもかたわ少女への膨大な数の感情的な反応を見た時には、私たちもぶっ飛んだ気分になる。KSをプレイして泣いたと告白していた人も、そこまで行かなくても、感動したと言ってくれた人もいた。KSは人生を変えるインパクトがあったなんて言ってくれる人もいて、それはジョギングを始めるような些細な変化かもしれないし、音信不通の友達や想い人に再び連絡を取りたくなるような深いものかもしれないし、直面している問題に立ち向かう事だったりするのかもしれないけれど、そんな話を読んで私も感動してしまった。こうした反響を読んだ時の気持ちを全て表現する事は到底できそうにない。だって、KSがたった一人の人生でも良い方向に持っていけたのなら、私たちは客観的に良いことをしたことになるのだから。そんな事ができるとは一週間くらい前までは思いもよらなかったが、私たちが突然再び意識し始めたこうした意義は今でも続き、どんどん予想外の展開を見せている。スタッフの誰かがまた同じような経験をする可能性は限りなくゼロに近いだろうし、私たちが今後何をやっても、この障害者18禁ゲームが与えたほどの大きなインパクトを人々に与えることはないんじゃないかと思う。そんなことを考えると、過去5年の事がとても変に感じられる。

明日の投稿がこのシリーズの最終投稿になります。

- Aura

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