2011年9月21日水曜日

KS開発の5つの段階


第1段階:興奮


「やったあ!」

KSの開発は最高だ。実際マジで、すげー面白いんだ。他の人と一緒に自分を役立てるって言うのはすばらしい趣味だよな。そこについてくるものはもろもろ全部、たとえばKSを取り巻く一大コミュニティとか、コミケみたいなイベントへの出展は、全部おまけみたいなもんだ。4LSの人たちが好きだし、彼らとしゃべったり論じあったり、一緒に作業をしたりするのが好きだ。あっちも自分のことを気に入ってくれていると思う。少なくともほとんどの間は。時には、一歩引いて「うわ、俺たち本当にこんなことしてるんだ」と実感する。それがものすごくやる気を奮い立たせるんだ。

第2段階:いらだち


「古いルートが……」

KSの開発は難しい。いろんなことを片付けるために、まるで筋の通らないたくさんの障害を乗り越えなくてはならなかった。自分達が立てた目標は完全に非現実的で、そこにたどり着くまでに時間をかけすぎている。KS開発中にボツにした素材の量は、完成品に含まれる素材の量を越えるだろう。こんな風に状況はめちゃくちゃになるのか、と何度も驚かされた。こういうことがあると、みんなひどく消耗する。でもこれはビジュアルノベル開発という狂気への転落の始まりにすぎない。

第3段階:絶望

「アヘ顔描いてあげるからシナリオ書いてよー!」

KS開発は苦痛だ。俺たちみんな、想像を絶するバカみたいな苦しみをこのプロジェクトで受けるはめになった。しかもその多くは自分で招き入れたものだ。こっちはいかなる意味でも、メンテの行き届いた機械じゃないんだ。時には全然回らない歯車が出てくることもある。4LSというエンジンをきちんと動かし続けるのは、常に上り坂の戦いだ。そこには予期しないことも、ケンカも、哀願も、脅迫も賄賂もある。そういう戦いをしなくてはいけない人は、時にはとんでもなく長い時間をかけることもある。ほんとのことを言っても、誰も信じないと思う 。

第4段階:軽蔑



「怒」

KS開発は本当に最悪だ。誰にだって、これ以上はもうやってられないという一線がある。最後の麦わらが一本背中に乗ったら折れてしまう、という。こういうストレスへの反応は人それぞれだ。A22は床の上でゴロゴロ転がるし、deltaは叫びまくるし、等々。しかし私たちはプロフェッショナルなので、大体こういうことは早々に乗り越えて、次の段階に移るのだった…

第5段階:受容



KS開発にはそれだけの価値がある。でなければ何年も前に放り投げていただろう。芸術的価値が疑わしいだの、障害者のポルノVNだの、ファンのみんなの崇拝と怒りだの、プロジェクトが築き上げた巨大だが未開拓の可能性だの、そんなの全部知ったことか。困難な目標に向かって、これだけ長い間一緒にやってきたこと、それだけでも価値のあることだ。それに気づいたとき、最高の気分になる。少なくとも、プロジェクトがまた自分のタマか卵巣にケリを入れるときが来るまでは。絶対そうなるから安心して欲しい。ここでのオチは、一度第5段階に達したあなたは、この幸福なステージにとどまることはない、ということだろう。残念だけど、第1段階に逆戻りだ。そしてサイクルがまた始まる。何度も、何度も、何度も。

-Aura

2011年9月17日土曜日

スキルギャップ


まず最初に、ご覧の通り最近はブログの更新がありません。主に私のせいです。ごめん。でもだからといって、私が1か月くらいブログで愚痴をたれていないってだけでフォーラムにスパムじみた書き込みをしまくるのはよくないですね。落ち着いて待っていてください。私たちはベストを尽くしています。


時々、自分がこのブログをどうしたいのか、さっぱりわからなくなることがある。このブログの永遠の問題だ。私が書いた記事のほとんど(というか、このブログの記事ほとんどだけど)は、うわべだけでしか繋がっていない、とりとめのない物思いの類いでしかない。実際は、そういうとりとめない雑談はIRCでさんざんやっている。なのでブログを書く意欲は、それだけの言葉を読みたいと言う、どこかにいるはずの誰かの気持ちに依存する。自分達がこのブログ執筆をうまくできていると言う実感はまるでない。自分達のやり方では、更新頻度も記事の範囲も、とてもへんてこになってしまうからだ。というわけで読者たるあなたに問いたい。このブログでどんな記事を読みたいのか? プロジェクトの進捗という言わずもがなのネタは対象外として。理由は今までにも述べた通り。当てにならないとか、色々とね。

まあ、それはともかく。

本当に書きたかったことは、記事のタイトルに込められている。スキルギャップというのは、「よい創作物」とは何かという自分なりの展望と、実際の自分のアウトプットとの差のことだ。スキルギャップは常に存在する。自分のやっていることが間違っているんじゃないかという苦しみの中に。苦心して作った作品を投げ捨ててやり直したいと思う衝動の中に。自分よりも才能ある人を見たときに感じるかもしれない嫉妬の中に。あなたがクリエイティブな人物なら、何らかの形でこの気持ちと向き合わなくてはならない。

スキルギャップは人がクリエイターとして成長するにしたがって、大きくなったり小さくなったりする。学び、分析し、考えていくほどに、上限は上に上がり、ギャップは広がる。ひたすら鍛練に鍛練を重ねれば、それだけアウトプットの質が上がり、ギャップは縮まる。

自分自身について言えば、自分のスキルギャップを認知することはとても不愉快な不安に繋がる。そもそも物書きというのは、単語や熟語や慣用句や引用によって、思考を現実世界に描き出すことだ。その中には他のものより優れているものもある。でも自分の書いたものが、当人の想像の中にあるものに匹敵しうる、という人はどこにもいないと思う。私だってそんなものは書けない。この記事を読んでいる皆さんが、私が本当に思い描いた物語、琳と久夫と、二人の間に起こる諸々の出来事を読むことは決してない。実際に目にするのは私がキーボードの上にどうにか吐き出すことができた、粗雑な翻訳物でしかない。このことに気づいて、少し悲しみを覚える。いろいろ考えてみれば、私のスキルギャップは広いし、それが私にもたらす影響も同じくらい広範囲にわたる。私は自分のテキストをたくさん見直すし、何度も何度も繰り返して書くし、書けなくなってしまいがちだし、等々。一語一語が戦いなのだ。

自分とは正反対に、deltaはおそらく4LSの中で一番スキルギャップが狭い。彼は担当する作業の腕がとてつもなくいいのだけど、作業の性質上、彼は自分のポテンシャルの上限に非常に近いところに居続けることができる。自分たちライターや絵師は自分の能力のみに制約を受けるが、deltaはそれ以外にも制約を受けている。使っているエンジンの制約とか、チームが作り出せる資産(アセット)の量とか。さらに、こちらには何百万もの芸術作品や文学作品という比較対象があるけど、ビジュアルノベルについてはそう多くない。deltaの本当の能力の限界はわかってさえいないかもしれないが、スキルギャップが内的な性質に限られないことはわかるだろう。

スキルギャップによる不安に対処する方法として、「無理矢理ねじ伏せる」よりも良い方法、というか他に方法なんてあるのかどうかわからない。とにかく自分の好きな媒体を選んで、最高のものを作ろうとし続ければいい。そして自分が客観的に見て、とても下手だという事実にへこまなければいい。始めるときは特にそうだが、自分の限界を認めることはいつだって重要だ。どんな作業であれ、それ以上質を良くしようとしても意味がないという決断がどこかで必要になる。「もう十分だ」と自分に言い聞かせるのは間違ったことじゃない。ヘタクソであることを恐れてはいけない。だってある意味では、あなたは永遠にヘタクソなのだから。(非現実的なことを信じるように自分をだましているのでなければね)自分の欠点を正直に認めて、うまくなるために必死に努力することが、クリエイターとして成長するための道なのだ。

4LSでの最後のネタはweeeだ。彼女の腕前はかなり良いとたいていの人が思っている。実際その通りだ。ただ、彼女の過去の絵を見てみるといい。私たちがKSを作り始めたとき、weeeはそこまで上手じゃなかった。当時のmoekkiやkamifishのほうがずっと上手だったことに、本人もちょっと落胆していたのだった。でもどうだろう。weeeは絵を描くこととKSにこだわり続けて、たった数年後にあんなに上手になった。weeeは自分の才能を本当の意味で伸ばして見せ、それとともにすばらしい絵描きになった。

ここで肝心なことは、良いクリエイティブな人となるには、自分自身を理解しないといけない、ということだと思う。自分自身を誠実に見ることができれば(そして自分のヘタクソぶりという真実にガッカリせずにいられれば)、それこそたくさんの成長に至る道があなたの前に開けるのだ。

- Aura

2011年9月16日金曜日

「これは文字通りに受け取っていただきたい」


訳:

おちつけ

そして

がんばれ

(画像を直す手間がとれずすみません。)